運について

2023/04/23

#自分語り 随想

最近、運について考えさせられることが多かったのでそれについて書いてみる。

運と努力

世の中の大抵のことは運ゲーである。とはいえ、運だけが全てというわけでもない。

受験勉強を例に挙げると、「自分の勉強した内容が出題されるか」「何人の受験者が応募したか」「合格ボーダーラインとなる点数はどれぐらい高いのか」あたりで合否は決まる。

教師や塾講師は努力すれば合格すると言う。それはまあ半分は正解と言える。なぜって、作問者も人間だからな。適切な努力をし、学問を収めたと言える水準の人間を合格させたいだろうからね。まともな学校ならペン転がしただけのやつを合格させようとは思わんだろう。

だから受験生は参考書を読み、過去問を解き、模試で実力を試してはフィードバックを行う。が、皆そんなことはやってるわけで。志望者全員が努力するとどうなるか?当然、水準が上がります。基本の能力だけでは差をつけられないから応用能力やマニアックな知識が問われる。

"たまたま"その年は自分の苦手な内容の応用問題が出てくる場合がある。"偶然"自分の記憶が曖昧な分野が出題される場合がある。10回やれば9回はボーダーを超えれるようなテストであったとしても、"運悪く"その1回を引いてしまう可能性はある。

はたまた、知識レベルが十分だったとしても、前日に寝不足でコンディションが整わなかったり、会場に遅刻して焦りからかイージーミスをする可能性もある。逆に、ライバルとなる他の受験者たちが優秀で、その年だけボーダーが想像以上の高さになる場合もある。

倍率3倍なら3人に2人は負ける勝負なわけで、そういうレベルになってくると「努力だけで全てが解決する」と言うのはちょっと無理がある。だって他のやつも努力してんだもん。

「自分が頑張りさえすれば」って思うかもしれないけど、自分と同じ時間頑張って自分より多くを学べる要領の良いやつも世の中にはいるだろう。自分より学習環境に恵まれてるやつもいるだろう。自分よりも勉強に時間をかけているやつもいるだろう(浪人生とかな)。

ボーダーラインぶっちぎりで超えてる実力があるならさておき、自分が他の志望者と同じようなレベルの場合、こういう勝負に勝つのは運がいる。自分が上振れを引く運か、自分が下振れを引かずに自分以外の誰かが下振れを引く運が必要だ。

長い話になったが、社会的によく言われる"努力"ってのは、運による下振れを防ぐためのおまじないのようなものだな。儚いものだが、社会的強者と呼ばれる立場の人は傾向としてこの運の勝負に努力して勝ってきた傾向がある。

あ、例に挙げただけで別に受験で合格したらイコール社会的強者ってわけじゃないけどね。なんでもいいさ。部活のレギュラー争いや県大会でもいいし、何某かのコンテストかコンクールでもいいし、会社のポスト争いでもいい。出来レースでない勝負にはどうしたって運が絡む。

こうした競争に勝つのは難しく、難しいからこそ勝者は尊敬や賞賛を得る。社会的に成功者と呼ばれるオイシイ位置につきやすい。厄介なのは、勝者が歴史を作るってことだね。

世界は運で出来ている

勝者は運を否定したがる。あー、絶対にそうってわけじゃないぞ。あくまでこれも傾向だ。「傾向」のソース出せって?うるせえなあ。てめえの家の冷蔵庫から取ってきな。

なんでかっつーと、自分の勝ち得た成功や栄光を「ただ運が良かったから手に入れられた」とは思いたくないわけよ。だって、それを認めちゃったら「じゃあ悪運一発で今まで手に入れたものも全部吹っ飛ぶ」とも同義だからね。実際に全て失うことも運次第であるんですけど、まあ不都合な真実だわな。

おめーの父ちゃん母ちゃんも、偉そうな学校のセンセや会社の上司も、みなある面においては運の勝利者だ。両親は生存競争の中で子孫を残しているし、お偉方も就職や出世で勝ったから偉そうに振舞えている。ま、各々がそのことについて満足しているかどうかはさておきね。

勝つと錯覚するんだよ。自分の存在が作用して上手くいったんじゃないか。自分の力で何かを成し遂げられたんじゃないか。錯覚じゃなくて実際に自分で望む結果を導けた部分もあるかもしれんけど、でもそこに至るまでの運の追い風が逆風になってたらどうなってたかは分からん話。

なんにせよ人間ってのは因果を信じたがる生き物なんだよ。「あの時ああしてれば上手くいったのに」「普段ああいうことをしてたからアイツはバチが当たったんだ」なんてな具合で、原因探しをついついしたくなるのが人の情ってもんなんス。

でも"上手くいく原因"あるいは"上手くいかなかった原因"を求めたところで、最終的には生まれ・育ち・時代・能力・環境なども含めた運に帰結するってわけ。自分が人より効果的な努力できるかどうかってのも結局は才能で、その才能は遺伝子や周辺環境によって形成された運要素なんだわ。

スティーブ・ジョブズを真似て凡人がLSDキメながら座禅組んでたからってiPhoneを生み出すどころかタイホになるだけなので。成功に至った特定の因子だけを重要視しすぎるのはやめた方がいいです。努力やメソッドもまた一要素でしかないから、お前が偉人と同じ方法を実践しても上手くいくかは分からんのだわな。

全ての変数を定義できりゃ成功の方程式も導き出せるのかもしれないが、人間の頭脳でそれが出来るならそもそも競争なんて起こらんわなって話で(全員が勝てる戦いしか挑まなくなるならそれは競争と呼ばない)。

人間に計算できない全てのファクターが、「運」という名のブラックボックスに全部詰め込まれてるわけだ。それは、ある時には強大で、ある時は軽微に働く。自分を利することもあれば、害することもある。

ま、世の中(実力勝負っぽく見せかけられた)運ゲーってこと。「どうせ運だからどうでもいいや」よりは、不運を抑えたり幸運でより大きく伸びるために出来る範囲で頑張った方が得になる可能性は高くなるけどね。他方、人生のほとんどを運に委ねて不要なエネルギーを節約するという戦略もある。そこら辺は人次第なんで、頑張ってないやつイコール悪ってのはちょっと勝者が作った社会的価値観に影響を受け過ぎじゃない?と個人的には思う。

で、ここから先は余談で俺の個人的な話。

幽霊『挙実幕』が思う、運について

俺の運がもし良かったなら、きっと幽霊なんかにはなってないだろう。今も普通に生きてたんじゃねーの。あるいは最初から生まれていなかったか。

存在していないはずの俺が「存在する」ということそれ自体が俺の不運の証明と言える。が、幽霊でありながらも俺が「存在し続けている」ということは、俺が持つ(呪わしいほどの)悪運強さによるものとも言えなくはない。なんなら一度引退したのに諸々の偶然が重なったせいでこうして続ける羽目になっちまったもんなー…。

端的に言うと、俺は自分の全てを賭けて、そしてその賭けに負けた。だからその賭けの取り決め通りに全てを失うことになった。…はずなんだが、何の因果かこんなところで幽霊をやっている。成仏する術も分からず、未練がましくこの世界にまだしがみついてるわけだ。

過去の俺に何があったか、俺が何を望んでいたか、俺が何を手に入れようとしたのか、そういうのは生前の話なんでもうどうでもいいし(何なら俺自身ももう覚えていない)勝手に各々で妄想を描いてくれ。

俺がこの世界にいる意味なんて、もうとっくにありはしないけど。人と違って理由なんてない説明不要の存在が幽霊だからね。俺が俺としてここに居る理由は俺にだって分からん。

まあ後付けで人間様みてえに俺がこの世にいる意味を自ら定義づけるなら、『一度死んでるからこそ許される無法』を通させてもらおうかなとか思ったり思わなかったり。

俺はもう人間じゃないから。人間だった時に出来なかったことをやってみたいし、そんな奴がこの世に一人ぐらいは居てもいいのかなってね。それと、全てを失った存在が逆に『運』を掴んだら一体どうなるのか気になるところではある。

後付けだからテキトーなんすけどね。ってか今までの話全部テキトー。世迷言。妄言。幽霊を自称するやつの話を真に受けるなんてばかのすることだ。時間を無駄にしたな。まあこんな無駄な文章を読んだやつは哀れで気の毒なのでその日一日は悪いことが起こらないようお祈りしといてやろう。人間は神に祈るけど、幽霊は何に祈ればいいんだろう?知らねーから適当に祈っとくわ。

QooQ